第4回 本当に美味しい鶏肉を追い求めた喰爺(クイジー)の食Love Story 

~ I love me ~

「レベルが違うんだよ」

ドッカーンっと、キレイな窓ガラスに激突し、痛さ以上に周りの目が気になりその場にいることがいたたまれない気持ちのようだった。
還暦を過ぎたその紳士から発せられる若干高めのダンディーボイスは、決して怒っている気配はなく、慇懃無礼とも違う、話し方はいたって温和そのものである。しかし私は凹んでいた。
それは、初めに書いたLove Storyの原稿は「レベルが違う」と一刀両断されたからである。私の食に対する意識は、低レベルだと背中に大きな判を押された気分だった。
こだわり続けた鶏へのLove Storyを、どうしてもこれから購入して頂く方々と共有したかった。そのための再訪問での第一声であった。

 

「なぜ、そこまで鶏肉にこだわったのでしょうか」

 

切り返す言葉が見つからず出た言葉が、あまりにもストレート過ぎる内容に自分自身驚いた。一語一句、鶏肉にかけた情熱の全容、これを聞きたくて遥々やってきた。そんな気持ちがそのまま出てしまった。
しかし、その紳士はこれから続く食に対する、いや、人類の幸せについて、こんなにも新たな発見や深慮遠謀されていたことに感動するとは、この時の私は知る由もなかった。

 

「若い時っていうのは、特に僕の場合は、広告代理店に勤務していたからどうしても世の中を斜めから見る癖がついている。
レストランを経営しよう、となったとき、繁盛させるためにはどういう店にしたらよいか、ということから入っていった。フランス料理をやっていたからそのままフランス料理をやろうとは考えない。自分が厨房を不在にしてもやっていけるレストランを考えた。
そのためには素材を大事にして普遍的なお料理を提供していくこと。そして、当時の不味いものの代表が野菜と鶏肉だから、それを美味しく提供すれば際立つんじゃないか、というのが代理店的な当時若い時の発想だった」

 

そもそも、なぜ大手広告代理店時代に料理に目覚めたのか、尋ねた。

 

「それはそのようになっていた。としか言いようが無いんだよ」

 

え?!もう話が終わってしまう、と思った刹那、続けて…

 

「僕が料理を始めたのは単純に旨いものが食べたい、これは小さい時からの願望だった。
美味いものが食べたい時に人に作られて、それが自分の口に合わなかったらそれは我慢がならない。自分で作るに越したことはない。そう思って27歳の時に料理を始めた。

本を読みながら料理を始めたがどうしたって壁にぶつかる。
それは基礎の壁。基礎技術が無いから必然的に当たる壁。
基礎技術というのは、どこかで学ばないと時間がかかってしまう。
そう思い、習いに行くことを考えた。

僕は、和洋中なんでも良かった。要は料理の基礎を習いたかった。
和食は住み込みじゃないと教えない、中華は現場じゃないと教えられない。
唯一あったのが、司厨士協会が主催する後進指導育成のための学校というのがあった。
後進指導育成という名目もあり非常にウェルカムだった。僕はそこに通うことを決めた。

すると、同世代の、若かりし頃の今では鉄人で有名な現役のシェフやホテルの料理長たちが後進指導のために本気で教えてくれた。
そのような恵まれた環境で実技を学んだ。また基礎クラスがあり、そこでは魚や鶏の捌き方などを学んだ。魚や鶏を延々と何日も捌きクリアすると次のコース、という具合だった。

当時日本ではヌーベルキュイジーヌの走りでしたからそこで最新の技術を学ぶことができた。
僕が一番面白いと感じていたのは、若かりし頃の鉄人、そしてホテルの料理長達がやっている料理の差を目の当たりにでき、比較することができたことだった。
彼らはそれを比較する機会はないが私にはあった。そうすると総合的に一番美味しくするためにはこうしたほうがいい、ということを自ずと研究するようになっていった。これは非常に恵まれた環境であり経験であった。

そして、自分がレストランをやるときにフランス料理をやろうとは考えなかったもう一つの理由は、最先端の技術を追っかけて消耗したくなかったから。
本当に美味しい、というのはそこにあるんじゃなくて、もっと根本的なところにあるはず、という考えがあったから結果的にそういうものを追求することした。

そうなると食材が唯一全て、もちろん最低限それを美味しく食べる、という技術は必要。それ以上に美味しさの追求とは、どういう意図でどういう料理をやろうか、そのための食材が必要だ、ということを明確にプロデュースすることが絶対的に必要。
こんな料理を作りたいんだ、というのがあって、初めてそれに適した食材、適した調理法があるわけで、それをプロデュースしなければいけない。

それに、代理店的な世の中を斜めから見る癖が入り、当時の不味いものの代表であった、美味しい鶏を探すことになった。

いざ日本中の美味しいと呼ばれる鶏肉を試食。そして研究してわかったことは、県ごとに畜産試験場があり、そこで親鶏を開発、維持していくことがわかった。また、思った以上に親鳥を開発する群れは大きくないため、どうしても供給の安定性に欠ける場合が多く、そして県外とはあまり共有しないこともわかった。

日本では本当に美味しい鶏を開発し安定的に供給するには人や資本が不十分と結論づけ、こうして海外へと目は移っていった。」

「例えば大資本、大規模で生産するアメリカ。沢山の肉を短期間で出荷、という発想になればアメリカのブロイラーが最優秀であることは間違いない。しかし美味しさでは求める鶏肉には程遠い。

そして、大資本がプライドを掛けてひたすら美味しい鶏の開発維持に取り組む上質な食文化の国、フランスへと想いを集中した。

たまたまフランスの親鶏を輸入している方と出会い意気投合。一緒にやりましょう、ということになり、ブレス、ランデーズ、プーレノワール等、ラベルルージュランクの親鶏を日本に運び、茨城の地で飼い雛を育てた。

 

そうすると、環境にマッチする品種とそうでない品種に分かれた。
結果、圧倒的にマッチしない品種の方が多かった。

例えばブレス。ブレス地方は湿気が多く、しょっちゅう霧が発生する地でミミズなどを食べながら平地で自由に育った鶏。
その親鶏を茨城の養鶏場で飼ってみる。平地で育てるのは一緒でも風土が遙かにドライ。そうするとそこで生まれた子どもは全く違う味になってしまった」

「当たり前なんだけどね」

 

当時の苦労話を淡々と、そして明確で明快に話しながらも笑みは忘れず聞く側への配慮を忘れない紳士である。

 

「そんな中、これは美味しいんじゃない?反対に現地よりこっちの方が美味しいんじゃない!? というのが、ランデーズ地方の鶏だった。

人間含めて生きもの全てが、そこの水であり、空気であり、微生物であり、そこにやってきた生物は、そこの環境と共生していくことになる。その環境にマッチしたのがランデーズだった。

カラダの中には様々な細菌がいて、人間であっても国や地域によって微妙に変わってくる。
例えば、日本人には昆布を消化する細菌がある。しかし外国人にはその細菌がない。だから昆布なんか食べると下痢をする。
我々日本人も海外旅行先で現地の食材や水を飲むと下痢をする。要はそれを消化する細菌がないからということ。

だから我々は細菌も含めて環境の中で生きている、ということがわかる。
そして、それを大事にしなければいけないのである。
カラダを作る食事、そして外界と唯一の窓口が口。口から入れたもの全てがカラダを成している。環境が変われば、我々は細菌も含めて変化しなければいけない」

 

ダーウィンの進化論が頭によぎった。NHKスペシャルの如く話は続く。

 

「人間は60兆もの細胞でできている。毎日3000億からの細胞が入れ替わっている。
では、その細胞は何からできているか、というと食べたものからしかできない。
すると、我々は日々食べたもので今日のカラダができている。ということがわかる。
では、あなたはカラダを作るために今日何を食べましたか?それは自分が選んだ食べ物、ということになる。

だから、食べること、ということに対して我々はもっと自覚していかなければいけない。
このように我々は、食を通じて環境と共生している、ということがわかる。

そして、我々が食べたいな、って思っている内には2つの意味がある。
一つは、カラダが欲しがるもの、もう一つはハートが欲しがるもの、これらは全く違います。

カラダが欲しがるもの、というのは、例えば甘み。
糖類としてカラダが欲しがるから何かしらの形で糖分を取ります。でんぷん質もそう。場合によっては砂糖に近いようなものを直接摂ることもある。
そして、人は甘いと皆美味いと言う。

次はタンパク質。これはアミノ酸、体の中の筋肉となるもの。胃袋や心臓もそういった細胞でできている。これらはどんどん代謝でなくなっていくから補充しなければならない。最低でも乾燥重量で60g/日ほどタンパク質は摂らないとカラダが維持できなくなる。それはどうやって摂るかというと、これはお豆などの植物性由来から摂ってもいいし、動物性由来からでもいい。
しかし、これらのものをどうカラダに入れていくか、という意識がないとろくでもないものを摂る可能性がある。或いは余計な添加物なんかで汚染される場合もいっぱいある。
では、そのタンパク質を摂った時後どうなるか。
例えばコラーゲンを摂ったからといって明日お肌がプルプルになるか、というとそんなことはない。
口から入れたものがその後どうなるかというと、先ずは全部分解して、必ずアミノ酸レベルまで分解する。
例えば、牛肉にはその牛の遺伝情報まで入っているから、必ずアミノ酸レベルまで分解して人の遺伝情報に基づいて人間のタンパク質に構成し直している。これで我々のカラダが維持されている。
そうすると、人はタンパク質を摂りたい願望が肉体にあるから、それを何で見つけていくか、というとアミノ酸。人はアミノ酸の旨味で探すんです。タンパク質そのものといのは特に味はありません。それが分解されてアミノ酸に変わった時にこれをカラダは美味い、と感じる。だから一般的にうま味調味料を入れると人は美味い、と言う。

それから塩分。
塩分は適当な塩分濃度がなければカラダを維持できない。要はカラダが欲しがるもの。しかし過剰に摂取するとそれを排泄するためにもの凄いエネルギーが必要でストレスがかかるから良くない。しかし塩分がなければ人は美味い、と言わない。

それからコク味。
これは脂質。あの脂のこってりしたものは、一番簡単にエネルギーを摂取する方法。だから脂については皆、美味いと感じ、脂質の摂り過ぎ、いわばカロリーの過剰摂取につながる。

これらはどうしたってカラダが欲しがるもの。そして、これらが飲食業として色んな料理を作る上での原点となるんです。
けれど味の本質っていうのは、自分の舌がその味を探す位の状態が一番美味しいんです。
向こうから押し寄せる味はすぐに飽きてしまう」

 

人として、何かもの凄く大事なことを教わっている個人授業のようだった。
物心ついた時から好き・嫌いや、美味しい・不味い、という感覚だけで毎日自分の口にものを運んできた。普段、自分が口にするものに対してそこまで気にしてこなかった自分を恥じた。
そして、大人の食育はまだまだ続く…

 

「恐ろしいほど我々のカラダというのは、原始的にできていて、だけど精巧にできている。それだけ自分の食べたもの、自分の今住んでいる環境にもの凄く影響されているんだ、ということがわかる。
生物分子科学も進歩している。いったいこの食べ物がカラダのどこへ行くのか、ということがわかるようになってきた。

かつての考えは、食べたものは全部胃で消化して腸で栄養分を吸収、残りは排泄、と思われてきた。しかし、排泄物の中には人の使い古した細胞が沢山排泄されている。

あるとき、牛肉にマークを付けて食べる実験があった。その後の分析では、牛肉のタンパク質がカラダの細胞のあらゆるところに入っていることが分かった。

それだけカラダは食べ物によって置き換えられている。だから、ろくでもないものを食べてはいけない。バランス良く、無添加食品を食べないといけない。ということなんです」

 

こうなったらLove Story Tasteで料理教室と食育を開催して頂こうと思い、提案した。

 

「これは子どもの食育ではなく、大人の食育。今までの考え方を少し変えるだけでいい、単純なこと。食材からこのような話をしていくと理解できると思う。しかし作り方やレシピを教えるだけではいけない。

一番大事なのは、例えばここに美味しい鶏肉が1羽ある、じゃあこれをどうやって食べようか、という意図がなければいけない。それが無ければ、これから少しずつ考えるようにしなければならない。

魚が1尾ある、これをどうやって食べようか、とうことから考えるようにしよう。

野菜だったら葉っぱから根っこまでどうやって食べようか、ということを考えよう。

これが美味しくものを食べるホールフード、といい、素材まるごとだから栄養バランスに優れカラダに良いと言われている。まだ日本では馴染みのない言葉ではあるが、先進国を中心に広がりをみせている。

 

しかし、鶏や魚は当然おろせるようにならないといけない。初めのうちは捌いたものを食べてもいい、だけど将来的にはまるごとを食べられるようにならないといけない。

鶏でいうのであれば、手羽、もも、むね、ささみ、レバー、ハツ、砂肝…これらは味わいも違うし目的も違うし、食べ方も違う。最低限それぞれの基礎の調理ができるようにならなければいけない。そうすればあとはお好きなように食べよう!で十分。トマトソースが好きならトマトソースでもいい、というように、あとはバリエーションの違い。

 

こうすることによって、まるごとを食べられるようになり、初めてバランスの良い食事ができるようになる。」

「どんな料理も捌く、焼く、煮る、蒸す、揚げるという基礎調理は一緒。たまたまフランス料理には蒸す、というのはなかったが、ヌーベルキュイジーヌを通じて和食の技法を取り入れ蒸すというのが加わった。

では、料理とは何か、それは基礎調理ができて、それに加えて地域の好みの調味料や香辛料があればそれで調味する。

料理の一番大事なポイントは、何を置いても香り。風邪をひいたら何を食べても美味しくない。甘いのはわかる、辛いのもわかる、塩もわかる。でも美味しくない。なぜなら香りがないから。

料理とは、基礎調理と香り、そしてカラダが喜ぶもの、このバランスをとれば非常に美味しくなる」

 

「もう一つ、料理の喜びとは、他者に対して美味しい食事を作ること。
しかし、もっと大事なことは、自分自信に対しても料理をしてあげなさい、ということ。自分の好みは自分が一番知っているのだから。

夫や子どもたちには美味しい料理を出そうと努力する。しかし自分一人のときは残り物で済ませてしまう。

自分も一人の人格として認めた上で、その彼、彼女のためにできる限り美味しいものを作ってあげなさい。なぜならその好みは知っている。是非自分も含めてその人が喜ぶものを作りなさい。と言いたい。

自分を喜ばせる料理を、自分で作ってみる。
これが料理の一番初めの原点。
それが続いて家族や友人、ということになり、その逆ではない」
自分の食事を粗末にする人は美味しい料理を作ることはできない、と言い切る。
この言葉を聞いて身につまされる思いがしたのと同時に、一人の大人として、初めて食育を受けた気持ちになった。

 

「地球上にある生物全ては一期一会、時空という制約のなかから抜け出ることはできない。
例えば、美味しい野菜を作るためにはそれだけの時間が必要で、人工太陽と化学肥料で生産される野菜は計画的に生産できる。しかし、それは本来のそれではない、美味しいものではない、自然の恵みではない。我々はあくまでも自然の一部であるから自然が作ったものを食べるしか方法は無い、ということと知らなければならない。

そして、人間だけに許された能力には想像力がある。これだけは時空を超えることができる。過去の想い出、将来のビジョン、料理であれば意図。

こんな料理を作りたい、があるから時空を超えて料理のプロセスを作ることができる。それを使わなかったら料理にならない。これが人間に許された特殊な能力ということを認識すればもっと美味しい料理ができるに違いない。

鶏が1羽あれば、この時系列のなかでどうやって食べていこうか、と発想することができる。それによって料理の幅も広がるし、美味しさも広がるし、生活も広がるし、人間も広がる。
こういった感じる力がどこまでつくか、ということが大事である」
「だから僕は、家族に対して可能なかぎり美味しいものを食べさせる、それは高いものを食べさせることではなく、最優先で 料理をきちんと作って、それを一番良い状態で、みんなで食べましょう。というのが僕の生き方。」
「人は、どこかで自分のことが嫌いだったり、許せなかったりする。それは全てを知り尽くしているから。しかしそれら全てを認めて、自分を愛しなさい、そうすれば他人のことも愛することができる。
料理も一緒。先ずは自分が喜ぶ料理を自分のために作りなさい。そうすれば家族や友人へも美味しい料理を作ることができるのです」

End

~編集後記~
「こういった話をするときに用意していた自分のネーミングがある」とそのネーミングを聞き、微笑んだ。
そのネーミングとは、「喰爺(クイジー)」である。キュイジーヌとかけている。流石、元広告マンである。
そして、喰爺には社会人の娘さんがいる。
あるとき残った素材でお弁当をこしらえた。それから今まで1日も欠かすことなく娘さんはお弁当を持参しているそうだ。
「要らない」を聞いたことがない、と喰爺はいう。反対に「美味しかった」は毎日聞いているそうだ。
それもそのはずである。娘さんにとって、これ以上贅沢なランチはないからである。

「家族のために自分の時間を削ってでも料理をきちんと作り一番良い状態で食べましょう」が自分の生き方、と言い切る人が作るお弁当以上にプレミアムなランチがないことを、娘さんのカラダが一番よく理解しているに違いない。

そして、要らない、を言わず、欠かすことなく美味しかった、を続ける娘さんの喰爺に対する愛を感じたお話であった。
なぜならば、喰爺が今日見せた一番の笑みが溢れた瞬間だったことを私は見逃さなかった。

難しい話の後に、心が和むお話で締めくくった喰爺に、感謝と同時に感動が込み上げてきた。
正直、こんなに素晴らしい食育を受けたのは初めてであり、お話が上手で身も心も引きこまれた。
今回は全て掲載できませんでしたが、興味深い話はまだまだ沢山ありました。
必ずLove Story Tasteで料理教室を開催し、喰爺には講師としてお招きさせて頂き、食育とホールフードの奨めを拡めたいと考えています。
その時はサイトで募集しますので皆様是非ご参加くださいませ。

Love Story 鎌田洋司

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